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東京地方裁判所 昭和33年(ヨ)5314号 判決

申請人 清水義雄 外五七名

被申請人 東京都

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人等の負担とする。

理由

第一申請の趣旨

申請人等代理人は

「被申請人は申請人等に対し支払うべき給与から昭和三三年四月二三日分の給与を差し引いてはならない。」

との仮処分命令を求めた。

第二申請の理由

一  申請人等は別紙記載のとおり東京都北多摩郡砂川町立中小学校の職員であつて、申請人等の給与は被申請人が負担し、その長が支出を命令し、申請人等の給与支給事務は東京都教育庁北多摩出張所長が行うものである。

二  申請人等は昭和三三年四月二三日(以下当日という。)その勤務する各学校へ登校しないで、立川市で行われた東京都教職員組合北多摩支部の勤務評定実施反対のため措置要求大会に出席した。

申請人等が同日登校しなかつたのは(イ)砂川町教育委員会が同年四月一九日学校教育法施行令第三〇条、砂川町学校教育法施行細則第八条に基いて当日を休業日とする旨決定したこと、(ロ)同町においては休業日は町教育委員会又は学校長の特別の指示のないかぎり職員は登校を要しない慣行があつたこと、また(ハ)当日については同月二二日町教育長より各校長を通じ申請人等に当日登校に及ばない旨明示的に指示があつたことによるものである。

三  東京都の学校職員の給与に関する条例(昭和三二年一〇月東京都条例第五八号)第一六条は「職員が勤務しないときは、その勤務しないことにつき教育委員会の承認のあつた場合を除くほか、その勤務しない一時間につき第二〇条に規定する勤務一時間当りの給与額を減額して支給する」と規定しているに過ぎないから、申請人等が当日砂川町教育委員会の承認を得て登校しなかつたことを理由に右条項に基き申請人等の受くべき当日分の給与を減額できる筈がないのである。

すなわち、砂川町教育委員会は休業日を指定する権限を有し、かつ、服務監督権者として休業日において登校して勤務させるかどうかを決定する権限をも有するのであるから、当日を休業日と指定し、申請人等に登校を要しないものと指示したことは全く適法であり、従つて申請人等が「登校して勤務する」という形態で勤務しなかつたことも当然である。

従つて、右条例にいう「勤務しないとき」に当らず、また教育委員会の承認がないときに当らないから、被申請人は申請人等に対し昭和三三年四月分は、当日の給与を含めて全額支払うべきものであつた。

その故に被申請人が申請人等に同月分の給与として支払つた分には過払の事実はなく、またもとより被申請人は当日分の給与相当額の返還請求権を有しないものである。

四  被申請人は申請人等が昭和三三年一二月以降支給を受くべき給与から当日分の給与を差し引いて支給する予定を立て、前記北多摩出張所長は申請人等の所属学校長に対し(イ)当日の申請人等の出勤簿に臨休とあつたのは不参と表示するよう、(ロ)申請人等に対しては当日分の給与を返還させるよう指示し、返納しないものについては同年一二月分の給与から差し引くよう準備中である。

被申請人が当日分の給与に相当する金員の返還請求権を有しないことは前記のとおりであるから、右の差引をすることのできないことは当然であるが、なお、申請人等に適用される労働基準法第二四条第一項により法令または労働協約に別段の定めがないかぎり申請人等の賃金の一部を差し引くことは許されないものである。

五  以上のとおり、申請人等は当日分の給与に相当する金員を返還する義務がないものであり、今後の給与の全額の支払を受けられる地位にあることの確認の訴を提起するよう準備中であるが、この本案の判決確定前に被申請人に給与の差引を実施されると申請人等は次のような重大な損害を受けるものである。

(一)  地方公務員法第三八条により報酬を得て職務外の事業を営むことを一般的に禁ぜられ、従つて被申請人からの給与を唯一の生活源としている申請人等にとつて給与の一日分を不法に支払われないことはそれ自体著しい損害である。

賃金は毎月一回以上定期に全額支払わねばならないこととなつているのは、賃金の全額払、定期払が労働者にとつて重大な利害関係を有していることによるものであり、従つて一月分の賃金の一部が不法に差し引かれる場合には、本案判決をまつてその差し引かれた分を取り戻したとしても、その損害は回復することができないものである。

殊にその差引が少額であつても、差し引かれない状態でその禁止を求める方が差し引かれたのちにその差引分の支払を求めるより、金額は同じでも前者により緊急性があるのは当然である。

(二)  被申請人は申請人等の昭和三三年一二月の給与のうちから当日分の給与相当額を差し引く準備をしている。

ところで我国の労働慣行では一二月分の給与を特別に重視している。これは労働者の賃金が平常からその生活費をつぐなうのにやつとであるかもしくは不足していて、労働者は貯えを持つておらず、年末年始の出費の増大をまかなえないからである。

申請人等の給料も申請人等に課されている責任の重さと生活に要する費用と対比して見れば、極めて不十分であつて、年末に当つてその給与のうちから当日分の給与相当額を差し引かれることは重大な損害である。

しかも年末に当つて、所得税の年末調整が行われ、申請人等の多くのものが、一万円前後追徴されることになつているので、かかる際に当日分の給与相当額を差し引かれることは誠にしのびがたいところである。

(三)  被申請人は申請人等が砂川町教育委員会の承認を得て適法に勤務評定反対の措置要求大会に参加したことに対し実質上懲戒する目的で前記差引行為をするものであるから、かかる措置は申請人等の権利を著しく不法に侵害するものであり、申請人等にとつて精神上絶大な苦痛を与えるものである。

人事院規則一二―〇が懲戒処分としての減給は一日以上一年以下の期間俸給の五分の一以下を減ずることに定め、従つて懲戒理由があるとしても、なお一月分の給与の五分の一以上を差し引くことのないことに対比して見れば、一日分の全額を理由なく差引くことの重大なことは明白である。

(四)  被申請人の予定する給与の差引は昭和三三年八月他の教職員に対し行われた給与の差引と同様申請人等が所属する東京都教職員組合に対し重大な打撃を与え、組合員間に組合に対する不信と動揺の気持をおこさせる効果を狙つてなされるものである。

同年八月の給与の一部差引は現実に右の効果を生じ、こののちは組合員の行動力は著しく低下した。これは給与の差引が行われるということが組合員に心理的影響を与えた結果であつて、この結果は、殊に(三)記載のように給与の減額が懲戒的実質を持つていることが著しく作用している。

(五)  以上のとおり被申請人の申請人等の権利に対する侵害の不法性が著大であり、かつ、その違法性が明白であるから、その反面申請人等の受ける損害が必ずしも重大とはいえない場合でも本件の如き仮処分をする必要性が存するのであり、まして前述のとおり申請人等は被申請人の違法な行為により重大な損害を受けるのであるから、申請のとおりの仮処分命令を求める。

第三当裁判所の判断

一  申請理由第一項の事実と申請人等が昭和三三年四月二三日その勤務する学校に登校しないで、立川市で開かれた東京都教職員組合北多摩支部主催の勤務評定実施反対のための措置要求大会に出席したこと、被申請人が申請人等に対し同月当日分の給与を含めその月分の給与の全額を支払つたので、当日分の給与相当の金員が過払となつていると主張し、その返還を求め、その返還をしない申請人等について同年一二月分以降の給与から差し引く準備をしていることは当事者間争ない。

二  当日分の給与が過払になつているかどうかまたは過払分があつたとしても申請人等の同年一二月分以降の給与から差し引くことができるかどうかは問題ではあるが、仮に当日分の給与相当額が申請人主張のとおり過払になつていないとしても、申請人等が求める仮処分を必要とする事情が存することについては、十分な疎明がないものというべきである。

申請人等の求める仮処分は、当日分の給与の返還義務の存否が本案の裁判により確定されるまで仮定的に申請人等主張どおりの法的地位、本件においては被申請人に対し昭和三三年一二月以降の給与から当日分の給与相当額を引いたものが申請人等の真の同月分以降の給料であると主張することないしは相殺権の行使をすることを封じ、自らは同月以降の給与から当日分の給与相当額を差し引かれることなく支給せられる法的地位の形成、従つて結局実質的には当日分の給与相当額の金員の支払を求めるに帰するわけであるから、かかる仮処分は金員支払の仮の満足を求める仮処分としてこの金員の支払を受けなければ申請人等の生活が危殆に瀕する場合にはじめて許されるものというべきである。

そこで申請人等の給与の状況を見ると真正に成立したものと認める乙第一号証(東京都教育庁人事部給与課作成の申請人等の給与等一覧)によれば、申請人等のうち最も給与の高い人で月額四〇、二〇〇円程度(差し引かれる八時間の給与は一六八八円)、最も低い人で一〇、六〇〇円(前同四四八円)で、なお本給の二割弱に当る暫定手当も減額されるが、その減額の程度も二五分の一程度と認められるから、右の例でいえば、最高の人で三二一円(暫定手当は本給の二割として計算、差引額合計二〇〇九円)、最低の人で八四円(前同様の計算、差引額合計五三二円)で、差引額の平均は一〇〇〇円程度となり(この平均は当事者間争ない。)割合からいえば二五分の一程度と認められる。

一般的にいつて、本給の最低一〇六〇〇円(外に二割弱の暫定手当)の人で五三二円、最高四〇二〇〇円(前同)の人で二〇〇〇円程度、平均して一〇〇〇円程度の金員が昭和三三年一二月以降の給与から差引かれることは、申請人等に他に収入の途がないとしてもその生活を危殆におとし入れるものとはいえないであろう。

申請人等は少額でも差し引かれてしまつたのちにその支払を求めるより、差し引かないことを求める方がより緊急性があると主張するが、両者の差は単に心理的なもので、この種仮処分の必要性として考えるべき生活上の困窮の面では大差がなく、いずれにせよこの程度の金員の不支給が申請人等の生活を危殆ならしめるものとは考えられない。

申請人は定期払の給料が全部支払れなかつたとすれば、その月に支払を受けられるという利益を失い、この損失は回復しがたいと主張するが、この程度の損害は前記仮処分の必要性を満たす程重大な損害とはいいがたい。

更に申請人等は昭和三三年一二月の給与が差し引かれることを強調している。

なる程年末年殆に際して出費の増大することは申請人等主張のとおりであろうが、申請人等に一、八ケ月分の年末手当の支給があることは申請人の認めるところであつて、一二月は通常の月よりは収入の多い月なのであるから、仮に当日分の給与相当額が一二月分から全額差し引かれるとしても、年末年始の出費がかさむということだけで、前記程度の金員の差引により申請人等の生活が危険に瀕するものとは認められない。

なお、申請人等は年末調整により税金の追徴があることを挙げているが、申請人等のうち平均的な給与を受けている申請人鳥辺花子の例をとつて見ても、同申請人は給与月額二五、五〇〇円に年未手当手取額(年末調整額を控訴した残額)三六、五八四円を受けるのであるから、当日分の給与相当額一〇〇六円(暫定手当を本給の二割として計算し、その二五分の一を減額される暫定手当として計算)を控訴されるとしても、同申請人の生活が危険に瀕するものと認められない。

従つて所得税の年末調整があるということで本件仮処分の必要性が生ずるものとは認められない。

また申請人等は、被申請人が申請人等においてその主張の大会に参加したことを懲戒する目的又は申請人等の所属する東京都教職員組合の弱化を狙う目的で当日分の結与相当額の差引をしようとするものであると主張するが、これを認めるに足りる疎明はないから、これらを前提とする申請人等の主張は採用のかぎりではない。

最後に申請人等は被申請人の権利侵害の不法性が著大かつ明白であるから、前記程度の金員の不払でも本件仮処分の必要性が存すると主張するが、本件仮処分により、被申請人は本案判決確定前その主張の昭和三三年一二月以降の月の給料以上の額の支払を強制され、又は少くとその主張の当日分の給与相当額の返還請求権による相殺権の行使を封ぜられる反面、申請人等は本来ならば本案判決によつて始めて得られる満足を仮定的に享有しようとするのであるから、申請にかかる仮処分は申請人等が生活に困窮する場合に限つて許されるものと解すべきであつて、かかる生活の困窮という事情なしに本件申請の如き仮処分をなし得べきものとは解されない。

三  以上のとおり本件仮処分申請は、これを必要とする事情の疎明なきに帰し、申請の如き仮処分をするのを相当と認められないから、これを失当として却下し、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり決定する。

(裁判官 桑原正憲 大塚正夫 半谷恭二)

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